展覧会の絵 4:古城(2)

 自然と、イタリアの風景が目に浮かぶ。ムソルグスキーはロシアの作曲家だ。にもかかわらず、この「古城」につけられたタイトルはイタリア語である。ともすれば、それはなぜだろう。自分に置き換えて考えてみた。例えば赤池が……突然論文の中に中国語のタイトルをつけたらどうなるだろう。考えて、あまりに現実味がなく、想像できなかったのでやめた。
「実際に、絵を見たわけじゃないんですが」
 再び、田山がぼそぼそと話しかけてきた。僕は目だけで、返事をする。一応楽器をやっているもの同士、意図は伝わったらしい。それにしても、こうも考えを見抜かれるとは。僕と田山だけがどこかにいってしまったかのような感覚を覚えるが、そんなことはない。場は、今でもバイオリンによる主題が演奏されている。続いて、オーボエ。
「たぶんこれ、中世ヨーロッパの城ですよね。世界史を専攻していなかったので詳しくないんですが、なんとなく、戦争とか多かったんじゃないかなと思います」
 ムソルグスキーがこれを作曲した時期は、千八七四年だから、いわゆる中世というやつではないだろう。つまりハルトマンが描いたのも中世とかではない。別にこれは風景画なわけではないから、実際の城を見たかどうかは関係ないのだが……。それでも、彼の心の中にはその情景があったのだろう。
 世の中なんて、そんなものだ。流行の絵だって、有名な絵だって、大概はイメージ。実際のものを写実することほど難しい。音楽だって、楽譜の通りに演奏するのは難しい。
『だから、音楽は素晴らしい。指揮者によって作られる世界は異なるし、演奏する人によって色が異なる』
 そう言ったのは、誰だろう。少なくとも、マダムじゃない。この場にいない彼女の姿を思い出す。彼女ならなんというだろうか。きっと、何も考えていないだろう。
 弦楽器とオーボエからの主題を受け継ぎ、再びサックスへ戻ってくる。顔を真っ赤にして、息を大きく吹き込む後輩の姿が胸にずしんとのしかかってくる。努力。一生懸命さが伝わってくる。正直まだたどたどしい吟遊詩人の歌だけど、その城の湖畔と、庭のイメージは、きっと誰にだって浮かんでくる。だからこそ、近くの森から動物だって顔を出すんだ。
『祐介、イメージだ』
 これは、間違いなく先生の台詞。吹けるイメージ、出来るイメージ……そして、曲のイメージ。
「きれいですよね」
 僕が田山を尊敬するのは、彼の技術力だけじゃない、そのリラックスと圧倒的な想像力だ。緊張するとか、体がこわばるとかだけじゃない。彼の先にはゴールがある。
 それはきっと、吟遊詩人も同じで。


 わかっている。僕の悪いところは、他人と比較してしまうところだ。たぶん……これは憶測だけれど、もし僕がバイオリニストだったら、赤池をここまで認めることは出来なかったかもしれない。
 でも……なぜか、なぜだか田山とはなんのしがらみもなく演奏できた。どうしてだろう。自分に聞いても、答えはわからない。

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