展覧会の絵 4:古城(1)

 湖畔に響く歌声。ボーイ・ソプラノに惹かれて、森の動物が現れる。彼らは歌声の主を恐る恐る覗くと、仲間を呼びに再び草むらへ消えた。
 まもなく夜を迎えるのか。そういわんばかりの陰りある空で、今にも雨が降ってもおかしくなさそうだった。
 その、どこかもの悲しいファゴットの前奏から曲が始まる。二本が上昇と下降を繰り返し、たった数小節にしかすぎない歌を、ひっそりと歌う。それに気分を良くしたのか、ボーイ・ソプラノの主……つまるところオーケストラでいえばアルト・サクスフォンの調べがここにこだました。

「サックスだって?」
 正直なところ僕は展覧会の絵を真面目に聴いたことがなかった。こんなに有名なのに、という感じもするが、吹奏楽アレンジもされているわけで、そちらに馴染み深い。
 もちろん、吹奏楽アレンジでは当然サックスの出番はある。僕たちホルン吹きにとっては天敵ともいえる、サックス。なぜかって? やつらはまず音量が大きい。そして響く。ホルンがいくら吹いたって美味しいところは全部持っていかれてしまう。ともすれば偏見にすら思えてしまう発言であることは認めるが、僕がオケに転向した理由のひとつでもあるので、ここばかりは譲れないところである。
「いや〜、亜由美さんすごいねえ」
 そんな僕のちっぽけな感情(僕からすれば重要なのだが)なんて、きっとこいつはわからないだろう。不思議とそれに嫌悪感も抱かなかったもんだから、僕は軽く笑った。
 僕の所属する団体にサックス奏者はいない。では今誰が吹いているかといえば、クラリネットのメンバが担っている。それが僕の後輩であり田山の先輩である亜由美ちゃんだ。亜由美ちゃんは大学からクラリネット……というより楽器を始めていて、つまるところまだ片手で数えるほどの年数しか演奏経験がない。そんな中でこの大抜擢だ。
「たしかに、すごいよな」
「同じ木管楽器だからっていっても、勝手が違いますよねやっぱり。僕がトランペット吹けって言われても難しいですから」
 その金色のフォルムから誤解されやすいが、サックスは木管楽器だ。ちなみにフルートも。これはリードで演奏するものが木管楽器だからだ。ちなみに金管楽器は唇の振動で音を出す。ちょっと考えれば、ホルンだって元来角笛なわけだし、木で出来ていたっておかしくはない。
 実音「Es(エス)」で始まるどこか悲しい主旋律は、この後、展覧会の絵のさまざまなシーンに現れる。プロムナードの、確固たる行進曲も同様だが、それと比較したらどの場面でもどちらかといえば、暗い。
 城を見上げているのだろう。吟遊詩人の声が、すぐ傍の湖を反射する。嬰ト短調の、しかしその中にも男性の色気を表現しながら、彼はそこで歌った。
 彼もずっと声を出せるわけではないから、歌が消えるタイミングだってある。それに呼応したのか……空気がざわついた。高弦による、同じ主旋律だけれど異なる流れ。サックスによる彼の歌がブレスを伴うものだとしたら、バイオリンによる大気の動きは横に流れるようだった。
 僕だけではなく、タチェット(つまり出番がないということを指す)中のメンバは、耳から脳に渡るまで、その光景に集中していた。

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