展覧会の絵 2:小人−グノーム(1)

 僕の迷いはそのまま、次の曲に現れた。変ト長調のこの、気味の悪い曲。下降音形とグロテスクなフレーズが僕の胸に突き刺さってくる。
「ミミズみたいだ」
「え、先輩、なんですか?」
「ゴメン、なんでもない」
 ごにょごにょ、というオノマトペがたぶん一番似合う。
 独り言のつもりだったが、隣の席に聞こえてしまったようだ。『先輩』と僕が呼ばれたため、当然相手は後輩である。たしか、三つくらい下 だったか。大学生になってしまうと、正直誰が何歳かなんてわからなくなる。今回も、僕のパートはセカンドだ。どうしても、この後輩の隣で 吹いてみたかったというのがある。
「どきどきしちゃいますね」
 国民的アイドルグループにでも所属してそうな細身の青年は、音楽の申し子といってもいいくらい上手い。それは、技術的なものだけではな くて、その表現力たるや、僕が今まで聴いた中ではトップスリーに入るだろう。もちろん、アマチュアのメンバーの中でのランクだ。
 グノーム、つまり『こびと』を意味するこの曲は、ごちゃっとした低弦のフレーズと、合間のロングトーン、それから高音楽器による上から 下への流れと。
 正直、長調らしくない。終始こんな感じなわけ。あ、なんでこんなにのんびりしてるかというと、僕たち金管楽器の出番は残念ながら最後の 一音しかない。聴きに徹することが出来る。
「あんまり小人っぽくない曲ですよね。もっとかわいいものを想像するじゃないですか」
 練習中なので普通は私語禁止なのだが、隣の席の……ええと、田山がそんなことを言ってくる。  確かに、彼がそう思うのも間違いなかった。日本では、有名な某名作アニメ映画の影響を受けているのか小人というものに対して愛らしい感 情を持っている。たとえ見た目が白髭だとしても、つぶらな瞳と大きな鼻、それからパステルカラーの洋服と、明るいイメージが定着してしま うだろう。
 ところが、ハルトマンの描いた作品は、まるでキューピー人形のような玩具だった。日本人が抱く小人という感じではない。だからといって 、彼の絵がこの曲にふさわしいかどうかといったら疑問が残る。
「死をイメージするよな」
「先輩もですか、奇遇ですね、僕もです!」
 こいつ、今が練習中なことを忘れているのではないか。通し練習でないため、出番は確かにまだ先であるが、これだけ話していてはそのうち 指揮者からのもらいたくもない熱い視線を浴びてしまうだろう。僕は、人差し指を軽く立てて唇に触れると、軽く頷いておいた。
 田山がおとなしく、合奏に向き直る。
 僕がこの曲を『死』だと連想したのには二つの理由があった。
 ひとつは、さっきも言ったようなこの作品の背景。ムソルグスキーが無意識のうちに『死』を盛り込んだのではないかという点。グノーム以 降も、全体的に憂いを帯びた曲が多いので、ついそんなことを感じてしまう。
 もうひとつの理由は、半音階による下降音のフレーズだ。このような表現は、悲劇的なオペラなどに多い。ムソルグスキーの出身地とはこと なるが、このヨーロッパ向けの表現は彼に何かの影響を与えたのかもしれない。
 耳をつつくようなフルート、ピッコロ、オーボエの下降音。その締めとして、コントラバスが重苦しい音で応えてやる。
 その後、まるで小さい生き物がぞろぞろと現れるかのように弦楽器による上りの音符が増え……

 トゥッティで終結。やっぱりまだこの曲を理解しきれないや。

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