展覧会の絵 7:ビドロ(1)

 ユーフォニアムを、普段はバス・トロンボーンを担当している男性が構えている。基本のメロディーは、『古城』とそれほど変わらないのだが、この曲ではフレーズが重くのしかかってくる。
 ファゴットによる前奏も、軽やかでこれから流れる美しい情景を思わせるようなものではなく、コントラ・ファゴットによる薄気味悪い足音にしか聞こえなかった。
「かっこいいですねえ」
 田山が適当な顔(我ながら、ひどい発言だと思うが、致し方がない)で言ってくるが、この曲に込められた思いはそんなものではない。
 ユーフォニアムから、その思い歌が鳴り響く。化け物のような……通常のファゴットは一本の棒のようだが、二倍にも近いほどの長さと大きさで、さらには上部がぐにゃりとへしゃげたようにもその楽器は見えた。『お化けファゴット』と誰かが言っていたが、その描写はかなり評価できると思う。練習場の床を重い波形が伝わり、真後ろのユーフォニアムが受け継ぐ奇妙な光景。
 確かに、音は美しかった。
 僕と年齢がダブルスコアにも近いファゴットの先生に、一回り以上も年齢が離れた先輩は基本の基本がけた違いだ。社会人になると、楽器に触れる機会はめっきり減ってしまうので、現役そのころのように吹けないとは言うのだが、そうはいってもやはり根本が違う。
 亜由美さんの女性らしい音色とは楽器も何もかもが異なるのだが、雰囲気の違いはこれだけでも十分だった。
「そんな、かっこいいもんじゃないだろ、曲は」
 小声で、僕は田山に返した。

   ビドロとは、牛車を意味する。ポーランドの、苦しさから逃れようとして荷物を引く様子を描いた作品だ。僕は世界史専攻ではなかったから、ポーランドがどんなものだったかは、知らない。ただ、戦後日本を生活していた人間からは想像もできないようなきっと苦しいものなのだろう。
 牛車を比喩表現に用いたところでそれがなんであるかは結局はわからないが、それでも、重々しい空気であることは十分理解できた。
 ただ、演奏者は美しかった。
 ソロが終わると、フレーズはバイオリンに引き継がれる。トーンが落ちるものの、決して平和なように聴こえないのが不思議だった。高周波の音が、幾重にも横に流れて、踊る。次第にそれは勢いを増していった。
 指揮者の両腕が、上がる。僕も、息を吸い込んだ。
 トゥッティによるメインフレージング。まるで王でも現れたのように、嵐のような一瞬にも似た、地響き。
「苦しい」
 それが、僕の言葉をついて出るようなそんな軽々しいものではないとは思う。ハルトマンがこの絵にどんな思いを込めたかはわからない。ムゾルグスキーはわかったのだろうか。
「よくわからないんですよね、わかろうとするんですが」
 出番の終えた田山が言う。それが何を意味するのか僕はすぐに理解できなかった。それが、さっきの言葉に対する返信だと、気付いたのは冒頭のフレーズが再現されたころだった。
 再び、テューバ・ソロ。もしかしたら、これは予感と余韻を表していたのかも、しれない。

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