展覧会の絵 6:チュイルリーの庭(1)

 幼いころならば、誰だって喧嘩のひとつやふたつは経験しているに違いない。子供の喧嘩というものは決まってどうでもいいようなことだ、というのは大人になってから気付く。いや僕もまだまだ子供だけど……。
 耳に残る高音の木管楽器による細かな動きは、さしずめ子ども達のそれだ。自分のエリアに誰それが入ったとか、一番乗りを取られたとか、そんなくだらないこと。当時は真剣に考えていたのに、それがとってもちっぽけだと思ってしまうのは……心がさみしくなった証拠なのかもしれない。
 仕事と趣味は紙一重だ、と時々聞く。僕はまだ働いた経験などアルバイトでしかなかったからよくわからないけれど、正反対に見える関係は実は視点を変えればほとんど同じだと、誰かが言っていた。
 遊びと喧嘩もそれと同じで、あぁ確かによく槇谷さんが彼氏とどうのこうのと愚痴をこぼしつつ、それは惚気だなぁと僕が感じているのを思い出した。
 フルートとオーボエが、二人かそれ以上かの少年少女たちを表現する。あっちへいったりこっちへいったり、子供だからか、一定の同じ動きしかしていない。誰かの行動を真似して、ついて行って、キャッキャと笑う姿が、浮かぶ。
 その調べは、雰囲気を変えて弦楽器へと受け継がれた。これまでがはしゃぎ騒いでいたのに対し、どこかひっそりとした流れ。さしずめかくれんぼであったり、ひそひそ話であったりと子供とはいえひそやかなやりとりが思い描けた。
 天気は快晴。空に鳥でも飛んでいるようにも聴こえるクラリネットの音。やや、テンポアップ。激しさを増して、あぁ、それが言い合いになったのだということがわかる。
 日本であれば遊具をつかったり、鬼ごっこしたりかくれんぼしたり。ヨーロッパはどうなのだろう。ただ、この曲のタイトルが「テュイルリーの庭」という屋外をテーマにしているのだとすれば、きっと世界関係なく子供たちは同じ気持ちでいるのだろうとふと思う。フランス・パリ郊外のこの庭で、今日もみんな他愛ない遊びと口げんかをするのだろう。

   それでも、子供は無邪気で素直だ。いつの間にか喧嘩も静まり、そうしていつも通りのやり取りに戻る。半音のズレにちょっとだけの感情の変化はもたらされるが、それも純粋な証拠だ。
 大人は、こういうわけにもいかないよね

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