+ 第一章 藍色の悩み +

- 4話 それは、契約 -

契約。決めごと。いや、そんなレベルではなく、もっと厳かな……。どちらにしても、こんな少年が発する言葉では、ない。確かに少年の口調はどこか大人びていて、年齢とのギャップを感じるのだが、それとこれとは別問題だろう。

「契約? あたしが……喚んだ?」
「左様。お主の強い意志が、物体を通して我を喚んだ」
「ええと、よくわからないんだけど……」

どうやら少年は必要なことしか言ってくれないらしい。こちらの困惑さに拍車をかけるように、謎の発言を繰り返してくる。物体とか言われても、さっぱり見当がつかない。

「世の中は、わからないことで溢れておるぞ」

その、小馬鹿にした台詞に。

「ふっざけんじゃないわよ」

杏子はキレた。

「いきなり現れてよくわかんないこと言っておまけに変なかっこして契約がどうのこうのと! 現代文は絶対赤点だわ! てかあんた幾つよ! だいたい名乗りもしない、質問にも答えないで何様!?」

今度は少年がぽかんとする番だった。濃いブルーのガラスのような瞳をクリクリさせて、杏子から視線を離さないでいる。

ブルル、と、ジャージのポケットが震えた。家を出てきてからだいぶ時間が経過している。特に日常的なものであれば、ちょっとした時間の超過も目立ってしまうものだろう。

ちょうどいいタイミングだ。杏子は思った。

「悪いんだけど、もうあんたに構ってられなくなったの。とりあえず続きはあとにしてくれる? それか、なしで。じゃあね」

ここまでいえばきっとこれで終わりだろう。やや引っかかることもあったが、これ以上は構っていられない。それは事実だ。くるりと踵をかえし、ポケットを探る。二つ折り携帯電話の、着信ランプが水色に光っていた。家族からの着信色だ。待受画面にはマークが二つ。着信一件、メール一件。それが母親からであること確認したところで、後ろから声をかけられた。

「それは、真にお主の意図か? 我には、そうは思えぬ。……お主、名は?」

ここまで振りほどいても、食らいついてくる。いったいこれまでにそんなことはどのくらいあっただろうか。空いている方の手を握りしめる。携帯電話から視線をずらし、空を見た。

決して色のついていない星たち。それでも、各々うっすらと色づいて、輝いている。その中の、金色に輝く星に目を奪われた。

くるり、と。再び少年と向かい合わせになる。

「お主、名は?」

何度目かの、要求。

もう、この少年には何を言っても無駄なのだろう。こちらが何を言っても、名前しか聞いてこない。名乗れと言ったのにも、だ。けれども、もう杏子は気にしないことにした。それは、時間が経っていたからということも理由のひとつだが……それとは関係なく、ただ彼の話を聞いてみたいと思ったのだ。

促すように、空が輝いている。光を背負った、少年の姿。自分よりも身長も年齢も低いはずなのに、とても大きな存在に見えた。しん、と、辺りが一層静まり返る。

「杏子。山崎杏子」

ふっ、と。言葉は空に溶けた。

少年はその瞳を細めて、嬉しそうに笑ってみせた。

 

◆◇◆◇◆

 

「それで、あんたの名前は?」

杏子は歩いていた。コースとしてはいつもと同じで、たいした距離もない。走る気はすっかり失せてしまったため、もはや散歩の領域である。

隣には、例の少年がいた。さながらふよふよと浮いてついてくるかと思えば、きちんと二本の足で歩いている。とはいえ、そもそもが浮かんでいたことも瞬時の移動も、実のところ彼の存在自体も不可思議なため、いまさら驚くこともしなかった。

「正直、夢だと思ってるし」
「なんか言ったか、キョウコ」
「んーん。何も」

あれほど痛みを感じたとはいえ、まだ杏子は自体を受け入れてないでいる。パニックにならないのは日ごろの訓練の賜物だろうか。どちらにせよ、考えても仕方がない。

「なんかもう一気に疲れたわ。早く帰りたい」

そう思えば、あとは早かった。自体の収束と理解よりも、張っていた気力が解消され、疲れを感じるのである。自然の理だろう。先述のとおり距離があるわけではないのだが、なんともいえない精神的な疲労感だけは距離がどうこうするものでもない。それゆえ、そんな呟きが漏れた。

「なんだ、キョウコ。お主、直ぐ帰りたいのか?」
「そりゃね」

少年はどこか馴れ馴れしく、人のことを呼びすてで呼んでいた。それすらもはやつっこむ気になれず……そこまで考えて、そういえばまだ彼の名前を聞いていないことに気づいた。

「そういえば、あんたの名前は?」

もし仮にこれが現実で、彼が明日も現れたとしたら――正直なところ、こんなトンデモ見た目で日中いられたら間違いなく好機の目にさらされると思うのだが――名前くらい知っておかねば、いろいろと不便だろう。

「ふーむ。とりあえず、帰りたいのだな?」
「え、あ。うん」

相変わらずこっちの話にお構いなしである。もちろん直ぐに帰りたいが、歩きながら話しているうちにもう家がすぐそこまで迫ってきている。いっそ、このまま解散でもしてしまったほうが都合がいいかな……などと、杏子が考えた、そのときだった。

「承知した。ではそれを『山崎杏子』の第一の望みとし、我との契約の元に、叶える」

なんだか、よくわからないことを、少年が、言った。

否。言葉だけなら何を意味するかわかる。だがしかし、それが子供だましの……それこそ、ごっこ遊びのような発言だったため、馬鹿馬鹿しいと胸中で笑おうとしたのだ。

したのだが。

何の実感もないまま、自分を取り巻く景色が明るい部屋――つまり、自室だということに気づいたのは、ほんのすぐ後だった。

←previous | ↑top | →next

ご意見・ご感想お待ちしています。→Web拍手メールフォーム

Copyrights (c) Arisucha All right reserved.