+ 第一章 藍色の悩み +

- 2話 まるで流れ星のような -

夕食はハンバーグ……ではなく、青椒肉絲だった。物語の類ではこういう場合決まって王道をゆくのだが、山崎家の毎週木曜日は中華おかずセットの宅配のため、しかたがない。

早々に食事を済ませ、のんびりテレビを見たあとは、

「よし。じゃ、行ってくる」

杏子にとって日課となっているジョギングだ。親はリビングのソファに座ったまま、声だけで見送っている。玄関に座り、杏子はスニーカーに足を滑り込ませた。グレイ地に薄桃色のラインが入っており女性らしい。

玄関の鍵を施錠すると、それをラバー素材のブレスレットに引っ掛ける。軽く屈伸をして、左に向かった。

 

 

 

杏子の地元はどちらかといえば田舎である。都会というもので生活したことがないため比較できないが、この街を嫌ってはいない。しいていえば街灯が少なく、人通りも少ないため安全性が気にかかるという位だ。沙也加と一緒だった駅前こそ人が多いものの、この時間では近所など、誰の姿も見えない。いわゆる住宅地で、自分の家を含む周囲からは団欒の光と声が聞こえてくる。コンビニすら歩いて十分はかかる距離にあるため、正直コンビニエンスと言っていいかわからないレベルだった。

日中であれば車の行き交うこの道路も、夜となっては量が減る。決して褒められた行為ではないが、杏子は歩道からややはみだして走った 。

日中の天気こそ優れなかったものの、今は雲はない。空に星が煌めいていて、なるほどどうして空気も澄み切っている。

「ふぅ…」

杏子の気分といえば、残念ながらそれほど清々しくもいられないのか、軽く動きながらもため息は消せないでいた。

「……あれ?」

どうしたことだろう。空が、妙に近づいて見えた。なんというか、星が先ほどよりもくっきりと見える。歩き慣れたこの辺りが坂ではないことくらい杏子は知っていた。だからこそ、余計不思議に感じられた。

「違う……?」

違和感の正体。それは、空ではなかった。そう呟いている間にも迫りくる、

「星!?」

近づいていたのは至極単純な話、星そのものだった。どの星座からこぼれ落ちたかはわからないが、一等星どころの大きさではなくぐんぐんと大きくやってくる。

大きさだけではない。当然、輝きも保っていた。真っ白い光。目を開けていられない。

「……っ!」

流れ星だといか隕石だとかはこれほど眩しいのか、と。杏子は胸中で独りごちて目を瞑った。

 

 

 

おそるおそる、目を開く。明るさからギャップがあり、それはとても苦痛だったがかろうじて両目を機能させた。幸い、視力に影響はなさそうである。

相変わらず空は暗い。いつも通りの夜の景色だ。

しかしながらそこに異質な物体がひとつ。杏子の眼前には、白色の球体が浮かび上がっていた。直径はさしずめ杏子の身長よりやや短いくらい。腰のあたりまで浮いているのだが、その現実をどうにも受け止められないでいる。

「……痛いね」

とりあえず、自分の右頬をつねってみた。痛みはある。

球体からはうっすらと光が漏れている。先ほどのーー隕石が落ちたかのようなーー輝きではなかったが、多分同じ系統の光だ。今流行りのLED電球など比べものにならないワット数であろう。どこかの電力会社の代わりに、この光があればいいんじゃないか……などと現実逃避する。ジョギングを再開する気もすっかり失せた。

「ん?」

球体が動いている。実際に見たことは無かったが、その光景はまるで生き物が卵の殻を破る光景に類似していた。

球体の表面がどうなっているかわからない。だが、次第に光の量が増えていく。思わず、身構えた。何か良くない予感がする。

『もーちょっと、落ち着いた方が可愛いのによ。ダメだなあれは』

思い出す。やめて、今はそんなこと考えたくない……。

再び、目を瞑る。それでも、辺りが光っていることを認識出来た。そうして……その光は完全に消え失せた。

「……」

だが、杏子は目を開かない。脳裏に、ぐるぐるとした汚い感情が渦を巻いている。

どのくらい……実際はきっとそれほど経っていないだろうが、数秒か数分か、とにかく時間が経過した。杏子は未だ目を閉じたままである。だが、そうなれば発達するのが嗅覚と聴覚だった。

杏子は気づいていた。僅かに香る、何らかの花の匂い。どこか涼しい空気。本当に微量であるが、静かな呼吸音。

「お主、悩みがあるのじゃろ?」

そうして、杏子はその声を聞いた。

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