10. Autumn, confusion - 2

 とある日の午後。昼食を終えた学者が白科の研究室に戻ってくる。今日は彼にとって初めての講議の日である。これから小ホールに向い、天文学だとか物理学だとか生物学だとかを語るのだ。緊張のかけらも見せていない彼だったので、誰もがその発表に期待していることであろう。いち学者の講議なのに前評判はすごかった。
 彼自身、実は思いっきり緊張していて、講議に行く前にこの二号館で一番心地よい、もとい慣れたこの場所で休んでから行こうと考えての事だった。
「……これ、小説っていうか、報告書だよな。いや、日記か?」
 内容はごくごく普通の日常だった。彼女の。しかも、学者が驚いて思ったのは登場人物に自分と思しき人物がいたからだ。
 そのなかで、自分はとても皮肉めいていたり嫌味に書かれていたり。ため息をつきながら読んでいたが、次第にそれが和らぐのを理解した。
「誉めてんのか、これ」
 罵声というよりむしろ『憧れ』をテーマに彼の姿は書かれていた。
 目標のない主人公、つまりは女研究員自身の事で、彼女を取り巻く日常が、とある男性の出現により変化してゆく、といったものだ。まるっきり、自分の事である。
「結末は、こいつがどうかなるかって事ですか。まあ、こういう話なら一般受けはしそうだけどな」
 そしてふと彼女に視線をやった。
 当の本人は机の上でぐっすりと寝ていた……おそらく弁当を食べ終えて少ししたのだろう。机のうえに赤色のニ段重ねの弁当箱が、そのそばにはポーチ。それから、消しゴムのカスとシャープペンシルに、今彼が手にしているルーズリーフが数枚。
「っていうか、こんな汚い机でよく飯が食えるなこの女」
 学者は几帳面なところがあり、女研究員はずぼらだったので、二人の使うものの整頓具合はことごとく異なっていた。
 たとえば、ワゴン。女研究員所有のそれはくちゃくちゃになっていて、いろんなものが散らばっていたりもした。机も汚い。
 逆に学者のまわりは整頓されていて、それだけでも頭脳の良さを彷佛とさせていた。
 女研究員の寝顔を呆れた顔で見やり、ルーズリーフを元のように戻した。読んだと知れたらどんな反応するか分からない。触らぬ紙に祟りなし。
 そして彼は自分の机の上のひと束のノートを手にした。
 部屋を出る。