09. Autumn, confusion - 1

 月日が流れ、秋が来る。
 賑やかとは言えなかったが、しだいに二人の会話の量は増えてゆき、学者も二号館での講師としての生活になれはじめていたところだった。
「あ、おはよ」
 いつものようにドアが開く。出てくる青年の姿。
「あれ、今日コンタクトじゃないんだ」
 普段コンタクトをしている学者だったが今日ばかりは眼鏡をかけていた。初めて本屋で見た時の、あのノンフレームの物だ。
「目が痛くてな。しばらくはこのまま」
 彼は言うなりまっすぐに机に向い、持っていた本をおいた。
「まーった増えてない、参考文献」
 彼女が言うのも無理はなかった。
 彼がくるまで、部屋には古テーブルとロッカーと、小さな本棚と小さいワゴン、その他イスが何脚かで、物は少なかった。
 それが学者が来てからと言うもの、本棚は大きいものが二つ程増えた。 しかもその四分の三は学者の本でいっぱいである。
 それから、ロッカーも増えた。これはどうやら研究所内にあったものを彼が見つけてもらってきたらしい。 満面の笑みでそんなものを運んできたときは正直ちょっと驚いた。アンタ体力派じゃないだろ。思わずつっこんでしまった。女研究員だったらまちがいなく面倒だと言ってやりそうにない仕事である。
 そして一番変わったのは、机。古テーブルは撤去され、学校の職員室で教員が使ってそうな机が二つ、向い合せで真ん中に配置されている。イスもガス式のものになっていた。パイプイスは壁に立て掛けられていたり、本置き場に使われたりと、様々だった。その隣には何故か布団があり、学者のお泊りに使われているようであった。
「来週、とうとう始まる事になってな、そのための資料」
「あー、ようやく始まるのね。がんばってねー」
 ひらひら、と右手をふって返す。
「今まで何やってたのって感じよね、ほんと」
「あれ、知らんかったっけ。ちゃんと別のことしてたよ。他の研究室回って、俺の存在アピールしたりとか、教授の皆さんと研究について話し合ったりとか、質問に答えたりとか……」
「あー、はいはい」
 彼女はまたカラ返事で自分のやっていたこと、机のうえの紙に視線を落とした。学者がそれに気付き、体を乗り出してみてみる。
「何やってんの?」
「わあっ!」
 ぐしゃぐしゃぐしゃっ
「あーあ、紙が勿体無いなあ。ダメじゃないか、物を粗末にしちゃ。木だって、もう輸入するのも限られてきてるんだぞ」
「誰のせいだと思ってんのよ!」
 しみじみと言う学者に女研究員の罵声が飛ぶ。その右手にはピンク色のシャープペンシル、それから、左手にはルーズリーフが皺になって掴まれていた。
「なに、そんなに隠すようなもんなの?」
「べつに……って、ああっ、もう、なにすんのよ」
 彼女がふいと学者から視線をそらしたその隙に、ルーズリーフは女研究員の左手を滑り抜けて、学者の右手へと掲げられていた。
「小説?何、あんたこんなん趣味なの?研究じゃなくて」
「うっさいわねー。ただ、この町がいくら研究者で溢れだしたからってそんなこと興味ない人もいるだろうし、ただの税金の無駄使いだって思ってる人もいるみたいなのよね。そんな人の誤解を解消ってわけじゃないけど、まあ、伝わればいいなって思って。たいしたものじゃないわよ。研究所の日常を……って、そんな真剣に見ないでよ」
「ここ、文法おかしい」
「……あのねえ、別にそんな大層なものじゃないんだからって、人の話聞きなさいよ」
「あ、ここも」
「……もういいわ」
 こうして今日も過ぎてゆく。