01-17. 全国民の生活水

 クラヴィア・エール・アンティフォナ。
「クラヴィア王女が、魔法が使えるということについては国が正式に発表しています。ご存知ですよね」
 首を振るものは、アリサを含めても、いない。それは知っていて当たり前のことで、疑問に思うこともない。
「しかもそれは、人よりもすごい魔力だ、と聞いています」
 カルミナが挙手し、発言する。一気に講義の色が深くなった。天気は悪くないのだが、太陽が雲に隠されたのか、カーテンから差し込む光が一瞬消える。
 勿体つけるように、メイド長マリアは教卓前にて一回転した。くるり、と回れば彼女のロングスカートがふわりと広がる。
「その、『すごい魔力』がどんなものか、ご存じ?」
 先程と異なり、今度は少しざわめきが生じた。
「えっと……」
 答えられるわけもない。先程説明された光火水の概念でさえ、なるほどそういうことかと理解したばかり。では王女がどのくらいなのか――正直なところ、
「考えたこともなかったです」
 ミュゼの言う通りだ。
「そうよね。では、どう思う?」
「さっきの話で言うところの、水をたくさん……私たちのシャワー分くらいは出してもらえるくらいでしょうか」
 サルスエラがペンを唇に添えて、宙を見た。眉間にやや皺を寄せているのだが、ウェーブヘアがかかっていて、どこか幼く見えた。
「それで言えば、アンティフォナ国民全員の水を、瞬時に出せるレベルよ……」
「はっ!?」
 持っていたペンが、落ちた。
「国民全員分って……ええと……」
「決して少なくはありません。そのくらい、王女はできてしまうのです」
 バーレッタ村の人口が……千人かそこらだったか。いやそんなにいなかったか。アリサにとって国民といわれてもすぐにピンとはこない。ただ少なくともそれが途方もない数字で、そしてとんでもない数字だということは理解できた。
 ごくり、と。誰かが唾を飲み込んだ。
「危険すぎる」
「そう。だから、王女の情報は基本的には魔法が他の人より使える、というレベルにしかとどめていません。クラヴィア様の能力は、特に他国に知られてはいけない」
「……戦争が起こるから?」
 ミュゼすらも、この内容には肝を冷やした。たぶん、戦争という単語を口にしたフーガも同じ気持ちだろう。小声ではあるが、かすかに震えたその声は冷たさを帯びていた。
 マリアはそれに返事はせず――それはつまり肯定の意思を示すのと変わらないのだが、息をついて、ノートをぱらりとめくった。
「だから、貴女達に魔法を深く学ばせるつもりはないのです。やったところで、王女の威力にはかなわないのですから。さて、王女についての話は以上です」
 そして唐突に締めくくられる。しかし、それに抗議する人はいなかった。
 再び現れた太陽が、生ぬるく、テーブルを温める。それがどこか気持ちが悪い。
『想像も出来ない』
 クラヴィアが何歳のころから魔法を習得したかは知らないが、彼女にとっては何の疑問もないことだったのだろう。自分が、料理が他の人より得意で、でもそれはみんなやっていることで、一か二か三か……というように可能性があることだった。王女にとっても、きっと魔法は同じ感覚だったに違いない。
 でも、この時代のこの世界ではそういうわけにはいかなかった。ゼロかイチでしかなく、そのイチにたいして百もあれば、王女の心はどうなってしまっただろうか。
「質問があります」
 アリサが考え事をしている間も、時の流れは止まらない。それは当然だ。王女の話は終了したものの、魔法に関する座学は続いていて、気付けば先程まで真っ白だったホワイトボードには文字と図形が描かれている。
 挙手したのは、今度はフーガだった。意外にもその隣のミュゼは真剣にノートを書き写していて、彼女のビジネスライクな態度にアリサは少し安心する。何を聞いても、そのままでいるミュゼが今の自分には心強かった。
「なんでしょう?」
 マリアが顔を上げる。
「先程の話に戻ってしまうのですが、ええと、王女の件です」
「……答えられる内容であれば」
「では。クラヴィア王女は、現在どうしておられるのですか?」
 しん、と。空気が凍りついた。
 笑いが取れなかったとかそういうのではなく、それは……純粋に、場を冷たくするほど刺すような声と内容だった。
 誰もが息を止めていたかもしれない。ほんの一瞬なのに短い時間。
「元気ですよ」
 その、普段以上に感情を押し殺した声が、少しだけ凍った空気を溶かしたのだった。


[第一章 完]
    

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