01-14. 予想外な心臓の鼓動

 断る理由もないため、アリサはミュゼを部屋に促した。先程よりもドアを広く開ける。まだ拭ききれていない水滴が若い肌にまとわりついていた。
「……シャワー浴びてたの」
「あ、うん。って、わ、さすがにこれはあれだよね」
 バスタオル一枚の心許ない姿を、ミュゼは暗に指摘したのだろう。アリサのスタイルは良いわけではなかったが、彼女もれっきとしたレディなのだから、少しは恥じらいを持つべきだと言いたいのかもしれない。それが親しき仲――ミュゼとの関係をそう呼んで良いかは疑問だが――や同性同士であっても、だ。
 アリサは一旦ドアを閉めた。ほぼ同時に、部屋の方からバタンドタンという音が聞こえてくる。もし、アリサが王女に選ばれたとしたら、この振る舞いは相当問題だろう。それが自分の敵にはならないと思ったのか、はたまた可愛らしいと純粋に思ったのか別の理由かもしれないが、ドアの向こうに立つミュゼは、右手を顔に当てて視線を泳がせていた。白い肌に、少しだけ紅が混ざる。
「おまたせ!」
 ほんの数分を置いて、再びアリサがドアを開けた。上半身は濃いブルーのTシャツで、下半身はロング丈のスウェットだ。これは見慣れている、同室だった時から着ていた部屋着だ。
「いや、こっちが突然来たのに……なんだかすまない」
「ううん。女性たるもの美しく、だよね。ミュゼが教えてくれた話。ちょっと今日は疲れちゃって……入って入って」
「そんな時間を取らせるつもりはないんだ。ほんとはここで立ち話でも良かったくらいで」
「そうなの? ん、でも立ってるのもアレだし」
 アリサがもじもじと両足を動かす。一見すれば用を足すことを我慢しているようにも見える仕草なのだが、ミュゼはそれを確認すると、ふっと笑って部屋に入ってきた。
「脚もお疲れのようだから、じゃあお邪魔しようかな」
 先ほどの言葉と合わせれば、アリサは立っていることすらもう嫌なのだということがすぐに予想できた。それを察したからこそ、ミュゼは素直に足を踏み入れたのである。
 招き入れる、といってもここは本当のアリサの家ではないわけで、部屋の作りも全く同じに過ぎない。家具の配置からカーテンの色まで、個性というものが感じられない部屋で、しかしどこか滞在者の匂いを感じさせる部屋にいつのまにかなっていく。
 アリサはベッドに腰掛け、ドレッサーの椅子をミュゼに譲った。簡易ライティングデスクもあるのだが、その椅子は少し離れたところにある。ベッドの上には先ほどまでまとっていたであろうバスタオルがくしゃっと置かれていた。
「ほんとに大した用事はないんだけど」
 ミュゼの服装もアリサの見慣れたスラックスで、その長い脚がなめらかに組まれた。どこか照れくさそうな仕草がミュゼらしくない。
「えっと、さっきのお礼を言わないとと思って。ありがと」
 それが話だと。一言のみで、それ以上は何も言わない。
「……さっき?」
 発言の内容も予想外であったのに加えて、アリサには何をお礼されているのか理解できなかった。二つの混乱を、目の前の美女にぶつける。
 聞かれてなおさら恥ずかしかったのか、ミュゼはますます顔を紅潮させて頭をぽりぽりとかいている。
「あれだよ、あの女とその、口論になったとき」
「あの女……あ、サーラさんのこと?」
 先の部屋でのちょっとした言い争い。口論というならばそれくらいしか該当しない。
「そ。あのままだと手を出しかねなかったし、なし崩し的に不穏な空気自体も解消されたでしょ?」
「で、でもあたしは何か特別なことをしたわけじゃないんだけど」
「それでも、だよ。ま、私の本性を暴露したところはマイナスだけど」
「うっ」
 そういえば、確かに『ミュゼの目的はお金だ』という発言を残した。右手で拳を作り、自らの胸に当ててみせた。
「まぁ大したことないからいいけどね」
「でっでもでも、ミュゼに失礼なことしちゃったし」
「失礼なんて、ルームメイト時代からなんだから今更でしょ?」
「そ、そう? ……って、それ、褒めてないよね」
「あ、ばれた」
 ミュゼはそう言ってくすくすと笑うと、立ち上がってアリサの額を小突いた。
 衝撃に、アリサは軽く目を瞑る。まばたき程度のほんの一瞬だが、飛び込んできたミュゼの微笑が何とも綺麗でかっこよくて、思わずアリサの体が飛び跳ねた。
「ま、ほんとにそれだけだったの。疲れてるところごめんなさいね。それじゃ、また明日」
 アリサの心臓が、驚くくらい鼓動している。ミュゼはそれに当然気付くことなく、立ち上がったそのままに、ドアへと向かっていった。
「おやすみ」
 その一言を最後に、ぱたりとドアが閉まる。
 けれどもアリサはベッドから動けなかった。胸を自ら小突いた――傷ついたことを表現しただけのなんてことはない冗談のつもりだったのだが――拳をゆっくりと開くと、まだおさまらない自分の心音を確かめたのだった。
『やばくない、これ?』
 なんといっても、相手は女性である。どちらかと言えばかっこいい系統であれど、さすがの自分のリアクションに動揺を隠せなかった。
「……うん、疲れてるから。寝よ」
 深く考えるのをやめて、アリサは布団にもぐりこむこととしたのだった。
  

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