01-04. 壁からの視線

 アリサたち応募者が出歩けるエリアは限られているらしい。見た目が古ぼけていても流石に一国の拠点。エリアとエリアの境目ーー大げさな表現をしたが、ようは廊下から扉に抜けるところやその逆のところであるがーーには見張り番がいた。
 ミュゼは胸元から小さなピンズを出すと見張りに見せる。その後に先に進めるようになっていたりするようで、つまりそれがなんらかの証であるのは間違いなかった。
「……そういうわけで、これがあれば許可されたところには行くことが出来る。大浴場と食堂の位置は覚えたわよね。しばらくはつきあってあげるけど……って、何してるの?」
「いやあの……ちょっと……覚えることが多くて……」
 一般的ルールと地図を叩き込むのはアリサにとっては苦痛だった。
「特に位置関係が」
「貴方、こっちの方が弱いの?」
 ミュゼの発言は相変わらず冷たい。頭部を指差してため息をつく。
「うーん、主に地図がちょっと……」
 得てして女性というものは比較的地形に弱い。空間把握能力が男性に比べて乏しいからだ。ミュゼのようにするする覚えられる人もいるだろうから一概には言えないのだが。
 そこでミュゼが初めて微笑した。切れ長の瞳はそのままに、上品に手を当ててくすりと、唇が円弧を描く。
「まあ、そのうち慣れるわよ。私も初めはそうだったんだから」
 彼女が指差す方向は元来たルートだった。それはつまり、道案内は終了するという合図である。
 アリサはミュゼの隣に並んだ。先ほどまでは後ろについていたのだが、そろそろ対等に喋りたいと、どこか自分で感じるものがあったのだろう。
 外壁に比べて汚れの少ない壁に囲まれた、長い廊下を歩く。ミュゼは態度にこそ出さないが、優しかった。何となくだが、彼女は運動でもしていただろうと予想する。歩くのも速いだろうに、道案内の時はゆっくり歩いてくれた。更に今はアリサのペースに合わせてなお一層歩みを遅くしている。
「ミュゼは本当に人見知りなの? そんな風に見えないけど」
「そうよ? 出来れば会話は少なくいたいわね」
「そっか……なんかごめんなさい」
 自分と同室になってしまったばかりに、部屋での時間や今のような時間を奪っているのだろう。職業柄、誰とでも話せるアリサと異なり、ミュゼはそういうのが本当に苦手だとしたらなにより辛いに違いない。
 ほんの一瞬だけ、ミュゼが歩みを止めたのだが、アリサは気付かなかった。しょんぼりと首をうなだれているため、ミュゼの表情も定かではない。そこまで考慮していたのか果たして偶然かはわからないが、ミュゼは周囲を注意深く見渡して、言葉を紡いできた。
「気にしなくていいわ。これも使命なのかもしれないし。それより貴方も、あと一日で一人で回れるようにしなさいね」
「あ、うん……」
「違うわよ。私が迷惑だからとかじゃなくて……見られているから。自立した方がきっと特よ」
 台詞の後半は聞き取るのが精一杯なほど小さいものだった。落ち込んでいたことも忘れ、アリサがきょとんとする。
 思わずきょろきょろとしそうになった彼女の頭を、きつくない程度にミュゼが支えた。支点が固定され、動かなくなる。
「む」
「審査はもう始まっているはず。どういった基準かはわからないけど……一人で何もできない人よりもきっといいはずだから」
 そう言うと、ミュゼは再び歩き始めた。頭にかかっていた重みから解放され、慌ててアリサがその後を追う。
 つまり、先ほどの発言はミュゼなりの助言なのだ。限られたエリアしか移動できないのは、王国の機密事項もあるだろうが、もっと他のーーたとえば、応募者の日常生活を観察するというようなーー目的があるのかもしれない。
「やっぱり、ミュゼは人見知りじゃないよ。でも……何で、私に教えてくれたの? 戦いなんでしょ?」
 いつの間にか部屋の前まで戻ってきていた。ノブに手を掛けながら、扉を開ける。自分のテリトリーに足を踏み入れながら、ミュゼはアリサの方を振り返った。
「さあ、何故かしら。貴方が私のライバルにもならないと判断したか」
 再び、いつかの微笑み。
「貴方のことが個人的気に入ったからかしら?」
 アリサの頬が真っ赤になった。それを確認することなくーー多分興味もないだろうが、ミュゼは背中を向けて奥へと進んで行くのだった。



 食堂にはミュゼと一緒に行った。よく見れば自分たちと同じように二人組になっている人もちらほら見受けられる。広間ではあれほど感じた視線も今は気にならない。
 代わりに、ミュゼの言っていた謎の視線を少しだが感じる時があった。ただしそれは本当に注意しているときで、普通ならばきっと気づけるものではないだろう。
「どうしてミュゼは気付いたの? 普段はそういう仕事?」
「そういう仕事って何よそれ」
 聞いてもはぐらかされてしまった。
 食事は、美味しかった。 


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