03. Kehinar

「リリィは夜にならないと呼ぶことはできないけど、ジュリアンは起こせばきっと大丈夫ね。朝に帰ってくるあの子が悪いんだもの。叩き起こしてお茶に参加させ......」
 マイペースで話し続けるケヒナーだったが、ここへ来て言葉をつまらせた。頬に当てたままの右手に、つう、と冷や汗がたれる。リカードが、傍目に見てわかるほどに不機嫌なオーラをだしていたからだ。漫画で言えば、髪の毛は逆立って、目はつり上がって光っていたかもしれない。何時の間にそんなに強く握ったのだろうと思うくらいがっしり拳を作り、わなわなと震わせていた。
「あいつが......なんですって......」
「......え?」
 思わず敬語も忘れている。
「あんの男、昨日も遊び歩いていたのね! 教養のかけらもありゃしない! ほんっと、この家の長男って自覚はあるのかしら!」
 顔を床にむけて、真っ赤になりながらリカードは叫んだ。ケヒナーの言う『ジュリアン』という単語で今朝の夢を思い出し、ますます頭に血が上ってしまう。勢いは止まらない。
「それでいて才能はあるからホント嫌になるわ! 道を歩けば女性を口説くし、屋敷内でも見境がない。あああああもう! ホント最悪!」
「ふふ......リカードったら」
「え!?」
 沈黙。コンマ数秒。
「あああ! わ、わたし! す、すみません! なんて大変なことを......」
 高ぶった感情は本当に一時的なものであって、大抵はすぐに我に返るモノである。自分がケヒナーに対して敬語を使わなかったことと、いくら関係が緩いからといって、オルガリー家唯一の息子......一番下のジュリアンの悪口をまくしたててしまったのだから、普通なら極刑ものである。自分が一気に恥ずかしくなって、今度は逆の意味で顔を赤くし、ますます俯いた。
「大丈夫よ、リカード。むしろあの子にはなかなか同年齢の友人なんていないもの。貴女がいてくれて本当に良かったわ。私やリリィ達に立場を考えてしまうのは出来ればやめて欲しいけど、貴女がそうしたいのならばそうしても構わないと思うのよ。口調で私たちの関係が変わるわけじゃないもの。でも、ジュリアンにはそんな感じでずっと接してもらいたいわ。本当に、小さい頃から一緒だったものね」
そういってケヒナーはリカードの肩に手を置いた。そのまま両頬を掴み、そっと顔を持ち上げる。やんわりとした微笑みは重いものではなかったけれど、肉親にかける表情とほとんど同じであった。
「ケヒナー様......」
「引き留めてしまって悪かったわね。そろそろ行った方がいいでしょう。あ、でも約束通りお茶はしましょうね。もちろんジュリアンも一緒に」
 こくりと頷いて、リカードはケヒナーと別れた