暗闇は、単に言葉にしたら何も見えない真っ暗な空間である。けれど実際のところ真っ暗だと表現する割にはそこにモノが溢れているし、何よりも後ろにある色は多彩だ。ある時は青みがかった黒であったり、赤みを帯びた黒であったり、黒なのに白っぽいという場合もある。
今日の闇は黄金色だった。黄色ではない。大気の粒子が煌めいていて、ほんの少しだけれどそれが光沢を持っているのがわかる。
闇の中、どうやらそこは通路のようだった。『ような』と形容したのは、壁面と床をはっきりと確認出来なかったからである。本来であれば通路の両側を走っているだろう壁は全く見えない。床も、まるでドライアイスでも焚かれているように黒色のーー厳密には先述の通り黒ではないのだがーー煙が立ち込めている。
にもかかわらずそこに床や壁らしきものは存在していて、何とも気持ちの悪い感覚を覚えた。
と。その、はたからみれば気が狂いそうになる闇の中から、一人の少年が姿を現した。この奇妙な空間を通路だと認識できた一番の理由こそ、この人物の存在があったからと言っても良い。 「はー。今日も疲れたなっと」
声変わりして間もないくらいのボーイ・ソプラノでそんな呟きが聞こえた。まだその容姿は確認できない。声ならば年の頃、中学生くらいだろうか。
「さて、急がないと」若干ではあるが先ほどより低くなったような声。しかし、仮にもしこの光景を誰かが見ていたとしたらきっと同じ疑問を抱いたであろう、そのくらいの違いが生じていた。尤も、それを確認する術はない。
辺りは相変わらず黄金色の闇に包まれていたのだが、次第にはっきりとした石畳が姿を現しつつあった。と、同時に周囲も明るくなりはじめる。
少年だと思っていたその男は、全くもって少年とはほど遠かった。身長は百七十センチ程度だろう、細身ですらりとしており、一般的には優男の部類に入る。なんというか、物語の主人公になり得るのはいつもこの手の男性かと、ため息すらもついてしまう程だった。といっても格好いいというわけではなく、そのクリッとした碧眼と大きめの顔のパーツは、どこか幼い。彼の通ってきた黄金色の闇と同じ、完璧なブロンドはうなじのあたりで切りそろえられているものの、やや癖があるのか、その毛先は真っ白な頬に軽くかかっていた。
石畳の通路自体それほど距離はない。それこそものの一分足らずで渡り切ってしまうだろう。彼もそれに漏れず、すいすいと進んで行く。
渡り切ったその先には比較的頑丈な扉が待っていた。通路よりもやや薄い色の、古いながらにアンティークさを感じさせるしっかりとした扉だ。その扉を片手で開ける。意外と重い。慣れた動作だった。
闇が無くなったとはいえ、以前としてどちらかといえば暗かった通路は一転、扉の先から差し込んできた光によって一気に明るくなった。
扉が全開になると、そこに現れたのは一面の庭園だった。はっきり言って広い。通路と扉を背にして、まっすぐ先に大きな噴水が見える。その周りには人が腰掛けられるくらいの囲いが備え付けられていた。少年であればきっと腰掛けても地面に脚を着くことが出来ただろう高さである。また、遠目に見てもそれがレンガか何か、要するに鉄鋼系の材質であることは理解できた。
その人工的な建造物を中心として、あとは一面草花で埋め尽くされている。びっくりするほどの花は色鮮やかで、驚くことに季節問わず多くの種類が咲き乱れているようだった。
青年は噴水に向かって歩き出した。若干だが、噴水から扉に向かって道のようになっている。よく見れば、噴水を中心として放射線を書くように道が伸びているようだった。つまり、その数だけ扉もあるということである。
「あら、早いわね」声をかけられた。今度は普通のソプラノボイス。噴水の脇に、日傘をさした一人の少女を確認できる。
少女を認識するや否や、青年は心底うんざりしたように唇の端を釣り上げた。彼女自身、そのリアクションにも慣れているのか何の反応も示さない。腰掛けたまま、ぶらぶらと脚を前後に振っていた。
「相変わらず、すごい服装だ」青年が呟く。
少女の傘はダークピンクである。蛍光色ではないのが救いであるが、それにしたって明るいのは間違いない。さらに言えばその縁取りは薄い桃色のフリルで飾られている。傘の自体も丸みを帯びたデザインであり、実用性よりも見た目を重視した製品に感じられた。
傘のせいで顔はよく見えないが、胸元に縦ロールがかかっている。件の胸元も傘と同じくフリルがついていて、スカートは膨らみがあり、言ってしまえばゴシック・ ロリータ系だろう。
「言ったって、貴方もそんなに大差ないじゃない」彼女が反論する。
確かに、金髪青年の服も相当のものだった。お伽話に出てくるような白いアウターに、青色のかぼちゃズボン。同じく真っ白なタイツにしっかりとしたショートブーツを履いている。肩につけられた大きめのブローチからは真っ赤なマントが伸びている上に、極め付けは頭上につけられた王冠だ。
はっきりいってただのコスプレ野郎である。
「まぁ、否定はしないけどよ……」ふと。そこまで言って、場に風が生じた。僅かだが、確かに青年の髪と少女の傘に風を感じていた。
「この風は……もしかしなくても」 「ま、アオ君ね。ご愁傷さま。でもしょうがないじゃない。今日は全員集合なんだし、顔合わせたくないならギリギリに来るとか、やりようがあるでしょ。もう」次第に風の威力が強まり、少女が傘を閉じた。青年といえば、頭を抱えながら、少女と同じようの噴水の縁へ腰をおろす。
よく見れば、幾つかの扉から人影が複数現れていた。彼女が言うところの「全員」なのかもしれない。
この、不思議な空間と少年少女について……今はまだ、何もわからない。
ただ、物語は開幕した。これは紛れもない事実だ。
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