EACH COURAGE

Story - 1st:On a fine day of summer [17]

第1章 ある晴れた夏の日に [17]

 立ちこめる煙。倒れる椅子。床と物がぶつかって奏でる不協和音。
 突然の出来事に、カナは息も出来ず目を擦っている。よく見ると、椅子から転げ落ちたのかお尻の方が若干痛い。しりもちでもついてしまったのだろう。
「な、なにこれぇ……っげほげほげほっ……!」
 何がなんだか分からず辺りを見渡し、口を開き、煙を吸い込み、むせた。そしてそのむせていたカナ本人の手が、他の誰かの手によって捕まれ、口の方に持っていかれる。
「おちつけ。吸いこむな、少し我慢しろ」
 先ほどまでカナの向かいで食事をしていたあの男だった。カナの口をしっかり手ごと押さえ込んでいるが、
「これじゃあ息が出来ないじゃないっ!」
 鼻まで覆われていたのである。自分の意のままに動かせた左手で、右手を掴む男の手をひっぺがし、反論した。こんな状況(だが、まだその状況がどんなものかはわからないのだが)であるものの、久しぶりの異性の手のひらに、思わずカナの顔が紅潮する。
「大体なんなの、この状況は!まさか今度も貴方が首謀者……ってわけじゃなさそうね。てことは、さっきの清純そうな少年?」
 青年はその言葉に頷いた。カナは『うそでしょー?』と言わんばかりの表情で、慌てている。
「聞いてなかったのか、さっきの忠告。おい女。煙が消えるまで大人しくしてろ。多分、この煙はもうすぐ消える。睡眠効果があるらしいから、過度に吸い込むな」
 男の言う通り、煙は薄くなっていた。そんな状況でもカナは煙を吸い込みつつ必死で男に向かう。これだけは伝えておきたい。
「いいのよもうそんなの!そうじゃなくって、名詞で呼ばないでくれる?あたしには『カナ・ロザリオ』っていう名前があるんだから」
 さっきからずっといらいらしていた理由のひとつでもあった。こんなに会話をしている相手に名前を呼ばれないことと、名前が呼べないことがフラストレーションとなってしまうのだ。
「じゃあ、ロザリオ。煙を吸わないでくれ」
「家名でわざわざ呼ばないで」
 状況を理解しているのかしていないのかイマイチ分からない女を、青年は変だと思った。 そういえば昨日も変な女だと思っていたのだと思い出す。思い出すと、トマトで汚れた自分の額を思い出すので、できれば今後は封印しておきたい記憶だった。
 口の減らない女だ、とも思った。でもそれと同時に、こういうのがいたら飽きないんだろうな、とも感じた。
「じゃあ、カナ。黙ってろ……って、もう遅いか。煙もいつのまにか消えてやがる」
 そういえば男は先ほどから口を抑えて、小さい声で喋っていた。煙を吸い込まないためだったのかもしれない。
「で、貴方の名前は?」
 名前で呼ばれて御機嫌なのか、笑って言うカナに対し、青年は実際のところ言葉もなかった。けれども、煙のむこうに人影が見えてきた以上はここでのやりとりに時間を割いている場合ではないとも感じていた。
「リョウ、だ」

 

PREV / TOP / NEXT

 

▲Jump to Top

▼Return to Story