思えば、全てが唐突だっと思う。
「剣術任命証(にんめいしょう)……ですか?」
女の呟きが冷たい空間に響いた。こんなに声が通るのは、おそらくその場が非常に広いからであろう。
白を基調にした、雪のような空間。壁の一部は硝子張りになっており、そこから建物の外が見えた。澄みきった青空と草木の緑。その景色から、このフロアがそれなりの高さにあることを認識できる。
呟きが疑問系であるゆえに、当然、それは自分以外の誰かに向けて発したものだった。
女の向かいに男の姿がある。豪華な装飾に飾られた椅子に座るその男は、ゆっくりと首を縦に振った。
そのアクションに呼応して、女がうさんくさそうな表情を浮かべた。
女……というよりまだ少女の歳だろう……彼女は男とは対照的に姿勢良く立っている。
『うーん、納得いかない』
胸中で漏らす。
どうやら辺りを見回してもここには彼女らしかいない。よって先程のやりとりはこの二人によるものなのだろう。
「大体、何なんです?その、『剣術任命証』って」
今度は大きく両手を広げてアピールし、再び聞き返した。
「まあ、堅いことをいうな、カナ・ロザリオ嬢」
「いえ、堅いこととかそういうことではなくてですね……」
男は娘の名前らしいものと共に、きっぱりと言い放った。
カナと呼ばれた少女もそれに怖じることなく返事をする。
「そこまでいうのなら仕方ない……説明しようじゃないか、カナ・ロザリオ嬢」
「…………最初っからそうして下さいよ……」
カナがどっと疲れたように……実際彼とのやりとりに疲れたのだろう、誰が見ても分かるほどぐったりと肩を落とした。
先刻から質問してはテンポのズレた返事を返され、そしてまた繰り返しである。気力が無くなっても仕方がない。
なんだか運動もしていないのに、嫌な汗をかいているようだ。
せっかくシャワーまで浴びてきたというのに、彼女の金髪はしおれつつあった。本当にしおれたわけではないのだが、普段はコシも癖もある厄介な髪の毛が元気を無くしていたのである。
つまり会話開始からそれほど時間が経過しており、体力を大幅に費やしていたということがわかった。
が、正直なところそんなことはわかりたくない。
「剣術任命証とはだな、つまりはまあいわば資格のようなものだ。しかも『すべての国』共通で使える、お得」
「なんかいいことあるんですか、それ」
「名誉あるものだぞ」
「名誉ですか」
いまいち説明になっていない男の言葉をそのまま返す。
カナとしてみれば名誉だとかそんなものはどうでもいいに等しかった。そもそもそんなものに興味があるならば、この年になる前から英才教育を受けているに決まっているのである。
それをしていないという事実が、名誉などに無関心であることの表れであった。
というのも、この世界では遺伝によりとある能力の有無が決まっていた。
持って生まれたものが無ければそれなりの努力が必要になるということを、カナは齢十六にして悟っているのである。
もっとも、このことについてはカナに限らず同世代の人なら知っていて当然のことなのであるが。
よって、考えることは早々にこの場を丸くおさめることであった。
早く家に帰りたい、と心底思う。まだ昼の時間にはなっていないが、日課であるジョギングを終えたばかりだったのだ。
そのジョギング中に声をかけられたのでわざわざ早めに切り上げたのだし、さすがにジャージ姿というわけにもいかなく、着替えてここにやってきたのだ。
そんなわけだからゆっくり落ち着ける場所に行きたいわけだし、なにより食欲が襲ってくるのである。集中力もなにも残っていない。
「じゃあ、なんでそんなすごそうなものを、私に?」
「すごそう、じゃなくて実際すごいんだってば。信じていないな」
「ああ、んじゃ、その、それ。とにかくそれがなんであたしなんかに?」
「うむ、聞いたところによると、カナ・ロザリオ嬢は『我が国』の誇る剣術道場の優秀成績者であるとのことだが」
「はあ、まあ、単純に長く通ってますから……」
先程からカナと会話している相手、パーンが治めているこの国は『四季国(しきこく)』という。
その四季国における唯一の剣術道場。それはちょうど首都のサマリという場所に在り、カナはそこの生徒だった。窓から道場が確認できる。ここがその首都にある王の城なのだから当然だ。
先述のジョギングは剣術トレーニングの一環だった。もっとも、誰かに強要されているのではない。
カナが幼い頃から自主的に行っているものだった。
今回の剣術任命証の話は唐突だ。
それが『名誉あるすごいもの』であったとしても、明らかに嫌な予感しか感じられない。
『まして、この王だしね』